スタッフブログ
2024年1月1日午後4:10
元旦の能登を襲った「令和6年能登半島地震」
亡くなられた方が、220名を超え地震から17日が経っても未だ行方不明の方や道が寸断され孤立した地域があったり…
連日報道される目を覆いたくなるような状態の能登。自分たちがバスで何度も訪ねた地の変わり果てた姿はとても苦しく胸が痛みます。
僕は地震発生時、金沢の嫁さんの実家にいました。
突然緊急地震速報がテレビから流れ携帯がけたたましくなり響き
テレビは珠洲市のライブカメラに切り替わりました。
最初にグラグラと来て震源地は能登なんだなと確認し、それで終わりかと思ったら、さらに大きな揺れが来ました。その場から動けないような大きな揺れ…子供たちの頭を守りながら落ちそうになるテレビを支え、そのテレビの中では建物が倒壊して土埃をあげる様子が見えました。
あぁ…すごいことになってしまった。
嫁さんの実家は多少の物の移動はありましたが大きな被害はありませんでした。
金沢は震度5強。
それでも怖かったです。
やはり僕も嫁さんも能登に知り合いがいます。輪島には嫁さんのバスガイド時代の後輩がいます。仲がいいので嫁さんがすごく心配していました。地震直後「大丈夫??」と連絡をすると「ヤバい状態!道陥没してて避難所に避難もできん!」と…
とりあえず生きててくれたと安心はしましが、大津波警報も出ていましたので、あまりの切羽詰まった状態にそれ以上状況を聞くわけにはいきませんでした。
地震後の輪島は、水・電気や携帯電話の電波もない状態だったので、限られた充電を使わすわけにもいかんと、心配でも安易に連絡も出来ませんでした。
3、4日くらい前にまた嫁さんが後輩に連絡をすると「電気がとおった!」と👏
後輩のその子は「電気通ったと聞いた時涙がでそうなくらい嬉しかった」と言ってたみたいで、そんだけ苦しかったんやなと思いました。
最近マップは復興支援バスとして電力会社の方を乗せて輪島に行っています。
その電気が通ったって喜ぶ後輩の電気も、もしかしたらマップがお連れした電力会社の方々の作業によるものかも!?なんて想像するとなんか嬉しくなりました。(実際は分かりませんが…)
そう思うとマップもちょっと被災地に貢献出来てる?
何も出来ないことに毎日もどかしい思いばかりでしたがちょっと嬉しくなりました。
一部で『電気が通った』『水道が通った』『携帯が繋がるようになった』など嬉しいニュースがある一方。
まだまだ苦しい生活をしている人がたくさんいるのも事実で、その方々が1日も早く日々の生活を取り戻せるよう、心から願っています。
もともとバス会社は冬の時期は閑散期となりますが、地震後マップも旅行のキャンセルや観光の仕事が減ったりしています。今は我慢の時。その空いたバスで被災地のためになにか出来たらいいなと思います。
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